FILM REVIEW

『愛のむきだし』Love Exposure(2009)-Sion Sono

▶︎人を救うのも愛、人を滅ぼすのも愛

噂には聞いているけれどまだ観ていない方は、死ぬまでに観ておくことを勧める。

Sion Sono(園子温)監督23作目として2009年に公開された。第59回ベルリン国際映画祭ではカリガリ賞と国際批評家連盟賞をダブル受賞。さらに『映画芸術』2009年日本映画ベストテンでは1位を獲得した。園子温監督といえば『ヒミズ(2012)』『冷たい熱帯魚(2011)』『新宿スワン(2015)』など数多くの作品で知られているが、中でも本作は燦然とした光を放ち続けている。長尺がネックで鑑賞できていない方、大丈夫ですよ、長尺を感じる暇なんてないですから。

物語は園監督の知人の実話を基にに制作されており、怪しい宗教団体については監督自身が実際に体験した内容も入っているそう。

愛によって苦しみ、愛によって殺され、愛によって救われる、ハッピーな作品。

▶︎あらすじ

亡くなった母の「いつかマリア様のような人を見つけるのよ」という言葉を胸に、クリスチャンとしてユウは父と二人で暮らしていた。神父となった父との生活は、慎ましいながらも幸せな日々であった。しかしある日父が、母とは全くタイプのの異なるカオリという女に出会ったことで、二人の生活は少しずつ変化していく……

▶︎作品批評

画像出典:amazon

237分の超長編作でありながら、最初から最後まで全く飽きることはなく、寧ろこんなにも集中して鑑賞できるのかと驚くほどだ。さすが園子温監督としか言いようがない。この作品にはコメディもロマンスもアクションも青春もヒューマンもサスペンスもバイオレンスもクライムも、あらゆる要素が詰まっている究極の映画作品だ。人の人生は感動の連続でもなければ、笑いばかりの日々でもない。家庭内の虐待やいじめ、怪しい宗教など、重いテーマも扱われているのだが、そこに笑えるスパイスが適度に足されることにより鑑賞中に重くなりすぎることは決してなかった。とはいえ4時間もの間、さまざまな感情が揺さぶられっぱなしで、今思い返しても「次はいつ観ようか」と自然に考えてしまうほど、わたしの感情がその魅力を覚えている。なんとも中毒性の高い作品であることか。

『愛のむきだし』という作品の外見で、笑ってスリルを味わって観るのもよし、ちょと踏み込んで登場人物に寄り添って観るのもよし、さらに深くまで入り考察するのもよし。


ユウを演じたのはAAAのNissyことTakahiro Nishijima(西島隆弘)。映画初出演にして、初主演。わたしが彼の演技を目にするのはこの作品がはじめてであった。演技の技術的な上手い下手ではなく、とにかく彼の演技は最高だった。ユウという人間を喜劇的でありながら真っ直ぐに捉え、わたしたちにその姿を示してくれていた。ユウ、そして西島隆弘そんな姿に、心打たれた。役者の演技の面で続けて話をするならば、この作品での怪演で一躍注目されることとなったHikari Mitsushima(満島ひかり)、そして外してはならないのがSakura Ando(安藤サクラ)の二人の圧巻の演技力には誰もは注目せざるを得ない。満島ひかりはユウの義理の妹・ヨーコ役を、安藤サクラは新興宗教団体「ゼロ教会」の教祖の側近・コイケを演じた。彼女たちのすごいところは、人間の内側を晒しているところだ。まさにむきだし。内面をむきだして人を惹き付けるパワーというのは、外見で人を惹き付けるパワーより何倍も難しく、その何倍も感動的だ。

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物語の展開も端的でわかりやすかった。チャプターごとにユウ、コイケ、ヨーコ、サソリ、最終章と別れており、それぞれの人生をギュッと凝縮して辿ることができる。観賞開始から約40分後に表示されるタイトルまで、いつの間にかジェットコースターに投げ入れられていたかのような猛スピードの展開。最初はあれよあれよとストーリーを理解する間もなく不可抗力で映像に釘付けになっているような形だが、このタイトルで一度飲み込む時間が与えられる。

ユウ、ヨーコ、コイケは、それぞれ悲劇的な子ども時代を過ごしてきた。3人に共通して言えることは、全て身近な大人(親とは言い難い)によって狂わされたということ。そしてその経験がやがて歪な彼らを生み出すのだが、同時に3人は大きさは違えどピュアな部分をそれぞれ持ち合わせていたのだった。ユウの場合はヨーコや父親を全身全霊愛している描写で最もわかりやすく、ヨーコもまたサソリに恋をする様子にそれが現れている。そして輝く心の灯火が今にも消えそうになりながらも、ひっそりと燈し続けているのがコイケだ。彼女の大人からの仕打ちは酷いなんて言葉では現しきれないことだ。しかし園監督はそこを重くなりすぎないように描いている。それは希望を捨てない作品にしたかったからなのだろうか?

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そしてコイケが胸元で大切にしているセキセイインコは、コイケの灯火を現しているようだった。コイケが子どもの頃から持ち続けていた温かい光、それがいつも自分の胸にあることを忘れないようにしているのかと考えると辛い気持ちになる。コイケの胸から飛び立ったセキセイインコは、コイケ自身であり、死をもって解放されたのだろう。小さな灯火が残っていたせいでコイケは苦しかったに違いない。完全に人間の心を失ってしまっていれば、きっと苦しさも痛みも感じることはなかっただろう。

愛で救われたユウとヨーコ。愛によって苦しみ滅んだコイケ。

本作で最も有名な満島ひかりの長台詞のシーン。コリントの信徒への手紙13章をワンカット一発撮り。圧巻だった。彼女の魂の言葉だと感じた。

最高の道である愛。

たとえ、人間の不思議な言葉、天使の不思議な言葉を話しても

愛がなければ私は鳴る銅鑼、響くシンバル。

たとえ、予言の賜物があり

あらゆる神秘、あらゆる知識に通じていても 

愛がなければ私は何物でもない 

たとえ、全財産を貧しい人に分け与え 

たとえ、称賛を受ける為に自分の身を引き渡しても 

愛がなければ私には何の益にもならない。愛は寛容なもの

慈悲深いものは愛

愛は妬まず高ぶらず誇らない 

見苦しい振る舞いをせず

自分の利益を求めず、怒らず、人の悪事を数えたてない

愛は決して滅び去ることはない 

予言の賜物なら廃りもしよう 

不思議な言葉ならば止みもしよう 

知識ならば無用となりもしよう

我々が知るのは一部分、また予言するのも一部分である故に 

完全なものが到来するときには部分的なものは廃れさる

私は幼い子供であった時、幼い子供のように語り 

幼い子供のように考え、幼い子供のように思いを巡らした 

ただ、一人前の者になった時、幼い子供のことは止めにした

我々が今見ているのは、ぼんやりと鏡に映っているもの 

その時に見るのは顔と顔を合わせてのもの 

私が今知っているのは一部分 

その時には自分が既に完全に知られているように、私は完全に知るようになる

だから引き続き残るのは信仰、希望、愛、この三つ

このうち最も優れているのは、愛。

『新約聖書 コリント使徒への手紙第十三章』

▼作品データ

『愛のむきだし』(日本)
公開:2009年
監督・脚本・原案:Sion Sono
撮影:Sohei Tanikawa
音楽:主題歌『空洞です』Yura Yura Teikoku(ゆらゆら帝国)

▼鑑賞データ

Netflix