MINI THEATER

『ぜんぶ、ボクのせい』(2022)-Yusaku Matsumoto

『ぜんぶ、ボクのせい』

 自主映画『Noise ノイズ』(2019)で長編デビューし、海外からも高い評価を得た松本優作監督の商業デビュー作『ぜんぶ、ボクのせい』が2022年8月11日より公開されている。

 まず本作で驚かされるのが、キャスト陣の顔ぶれだ。日本の映画界が松本優作監督を、この作品を、押し上げようとしていることが感じられる。主役・優太役を務めたのは、瀬々敬久監督の『とんび』(2022)でスクリーンデビューを果たしたばかりの14歳、白鳥晴都。そしてヒロイン・詩織役をオダギリジョー初の長編映画監督作『ある船頭の話』(2019)で第34回高崎映画祭最優秀新人女優賞を受賞した川島鈴遥が務めた。その初々しいふたりを支えるのが、独特の世界観でどのような作品であっても唯一無二の存在感を放つ、オダギリジョー。ホームレスの男・坂本を演じている。さらに優太の母親役には松本まりか、その恋人役の若葉竜也、ほかにも、数々のドラマや映画に引っ張りだこの仲野太賀や片岡文子など、演技力高さが評価を受けていることで有名な俳優陣が脇を固めている。

 このキャストを見て、「この作品が面白くないわけがない」と思うのはわたしだけではないはずだ。しかし裏を返せば「これだけ実力のある俳優陣がそろっていて面白くないのであれば、それはもう脚本や演出のせいだ」と、監督をはじめ製作側が自らハードルを上げてしまうことにもなる。もはや大きな賭けともいえる。今回はそんな期待と不安(?)が入り混じる注目作のレビューを紹介。

あらすじ

 13歳の優太は児童養護施設で暮らしていた。施設にも学校にも馴染めず、ただ母が迎えに来てくれることを待っていた。そんなある日、優太は母の住所を手に入れ施設を飛び出した。そして母の住むアパートを訪ねようやく再会するのだが──。

作品評論

毒親

 映画において、この手のストーリーの作品は毎年のように制作され、話題を呼んでいる。簡単にいうと「クソ親によって人生を壊された子どもたちの物語」。邦画の中でぱっと思いつくだけでも『誰も知らない』(2004)、『子宮に沈める』(2013)、『きみはいい子』(2015)、『万引き家族』(2018)、『MOTHER マザー』(2020)、『前科者』(2022)などがある。

 この類の作品の場合、役者の演技がそうとう重要になってくる。重い内容であればあるほど、本気の演技が必要不可欠なのだ。そういったことでいえば、やはりこの豪華なキャスティングには大きく頷ける。特に主人公を取り囲む最低な大人たち。いかにリアルに最低を演じることができるかで作品の評価には天と地ほどの差が出てしまうだろう。その例として記憶に新しいのが、『MOTHER マザー』(2020)で毒親を演じた長澤まさみだ。この演技が評価され、第44回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞、第33回日刊スポーツ映画大賞主演女優賞を受賞している。天真爛漫な笑顔が眩しい彼女が演じる毒親は、まさに迫真の演技であった。持って生まれたあまりに美しい顔だちと最低な母親の演技に、良くも悪くも「長澤まさみ」がそこに存在していることをわたしは強く感じさせられた。

 本作で同じような毒親を演じるのが松本まりか。2018年にテレビ朝日で放送されたドラマ『ホリデイラブ』で「あざとかわいい」女性役として注目され、そこから一気に人気を集めた。とにかく彼女の色気と狂気が混ざり合った演技が素晴らしい。そんな彼女を観るたびに、彼女の体当たりの演技に彼女自身が壊れてしまうのではないかと不安にさせられるほどだ。今回は優太の母親、そして山﨑重之の恋人役・梨花として、その魅力を発揮してくれた。長澤まさみの演じる毒親とはまた違う、女の部分が多めの母。優太とふたりの時は優太にも優しいが、山﨑と優太が一緒にいるとどうしても山﨑への気持ちが優ってしまう。優太との買い物帰りのシーンと、焼きそばを拾うシーン、このふたつを横に並べて見比べたいほどだ。「ごめんね」といいながら優太をここから追い出そうと押す梨花。根は優しいのにな……。男に対する依存性や執着心が彼女をダメにしてしまっていることがよくわかった。

 そう考えると毒親問題は、被害者の子どもだけでなく、母親自身にも救済が必要な問題であると改めて考えさせられる。世の中に居場所のない女性が、男に依存する。その男がろくでもないやつの場合、女は破滅する。その原因は寂しさだけではなく、自己肯定感の低さ、貧困、幼い頃に自身がうけた虐待の経験、知識のなさなどさまざまなことが挙げられる。あるいはこれらのどれにも当てはまらない人間でも、「ある時偶然にも」なんてこともあるのだろう。私たちはこの作品を通して、「親に捨てられた子ども」だけでなく「子どもを育てられない親」についてもしっかりと考えなければならないと思った。

母と子

 先に毒親について書いたが、本作ではもっとも観てほしい部分は「親に捨てられた子ども」の生きる姿だ。

 ネグレクトや身体的・精神的虐待などの児童虐待は近年増加の一途を辿っている。2020年4月に改正虐待防止法が成立したことによって「虐待の禁止」が明確となったが、今のところ歯止めとまでは至っていない。さらに児童虐待というものは最近になって突如として増えたわけではなく、実は昔からある極めて根の深い問題だ。時代を遡れば、いわゆる「躾」とされていた「身体的虐待」がかなり多かったことは想像に容易い。ところがそれがあまりに「当たり前」に行われすぎており、親からの暴力や精神的虐待を子ども自らが訴えたり、周囲が児童相談所へ通報したりすることは今よりずっと少なかった。特に子ども自身が親を通報するという行為について、時代が変化するであろうこの先も、なかなかそのハードルが下がることはないだろう。特に幼い子どもにとっては、親が世界そのものだ。親に愛されるためならなんでもするし、愛されないことは自分のせいだと思い込んでしまう。そう、これがこの問題の複雑で厄介なところである。それゆえ、虐待が発覚しにくく、発覚しても親を庇う子どもたちが出てきてしまうのだ。

 本作の優太の場合、児童養護施設に入所するまでの経緯は詳しく描かれていないが、優太は母が迎えに来ることを心待ちにしていることから、母に愛されていた記憶がずっと残り続けていることがわかる。施設の職員も母親の現状を優太にはっきりと伝えることをせず(あるいはできず)優太は母親への思いをどんどん募らせることに。優太にとって、母は愛すべきたったひとりの家族。自分が酷いことをされようと、母を失う痛みに比べればその苦しみは耐えられるものなのだ。ある種の洗脳状態に陥っているともいえよう。

 わたしたち人間という生物の多くは、生まれてから約20年もの時間を「家族」という閉ざされたコミュニティの中で生活する。もちろん何の問題もなく、家族の愛情に包まれながら成長していく子どもたちもたくさんいる。しかしだからといって、皆がそううまく行くとも限らないことを忘れてはならない。人間はそれぞれ、さまざまな居場所を選べばいいのだ。

 本作では前半部分で児童養護施設で過ごす優太が描かれている。その中で、同じ施設の子どもでも「選ばれし者」と「そうでない者」の対比が示されたシーンがあった。ただでさえ「普通の家庭」から切り離され、それぞれなんらかの事情があり、親と離れて連れてこられた施設の中で、子どもたちはさらに残酷な現実を見せつけられ、傷つきながらもゆっくりと理解していく。優太もまた、そうやっていくつもいくつも傷つくなかで、やはり母親を信じたくて、会いにいくのだった。母親と会った優太の表情は、それまで見たことのない柔らかいものだった。白鳥晴都のその演技には、はっとさせられた。なにせ、施設での優太はとにかく静かで、その目に希望の光はなかった。しかし母親と過ごす優太は、荒れた環境の中でも感情を持ち合わせていた。これこそが、人間が生まれながらにもつ、母と子の絆なのだ。

ホームレスのおじちゃんとの出会い

© 2022『ぜんぶ、ボクのせい』製作委員会

 優太はホームレスの坂本健二と出会い、徐々に打ち解けていく。オダギリジョーが演じるこのホームレスのおじちゃんが、本当に素晴らしかった。ふたりのやりとりもコミカルで、こんなに重い作品でありながらクスッと笑わせてくれるもので、心の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 姑息な盗みを繰り返し、なんとか食いつないでいるどうしようもないホームレスにも実は辛い過去があった。坂本は優太に自分を重ね合わせたのだろう。美しくもない普通の海が奏でる波の音、夕日でキラキラ輝く海面、グレーの世界をなぞる風の音。アップの際には美しいボケがつくられ、引きははっきりと先まで見える。基本的に水平垂直がバッチとキマっているのも心地よく、日の丸構図もよく使用されている。ふたりが過ごすなんでもないその風景が、鑑賞するわたしの心に沁みわたった。

 おじちゃんは優太の心にぽっかりとあいた穴を埋めてくれる。そして優太もおじちゃんに温かく寄り添った。お互いの気持ちがわかるからこそできた絆がそこにあった。

 そして同じく優太に寄り添った杉村詩織。川島鈴遥の演技もはっきりいってよかった。彼女もまた家族の中に悩みを抱えるひとり。優太がはじめて抱いた恋心。家族とはまた違う暖かい場所。こういう経験からも優太は世の中を知り、学んでいくのだ。人との出会いが人を成長させる。

 また、仲野太賀演じる廃品回収所で働く片岡もこの映画のアクセントになっていた。片岡は坂本にはない常識を持ち合わせており、おじちゃんに信頼を寄せる優太にときどき助言をしていた。そして自身も優太に手を差し伸べようとしていた。映画の中では優太はその手を握ることはなかったが、もし映画の先があるとすれば、優太を支える存在のひとりになったのではないかと想像できる。つかみどころのない不思議な雰囲気を漂わせる片岡を演じる仲野太賀は、やはりすごい役者だ。

幸せ家族ごっこの時代は終わり

© 2022『ぜんぶ、ボクのせい』製作委員会

 個人的な意見としては、家族は素晴らしいが家族がすべてではない、家族は大切にするものだが自分を一番大切にしなければならない、と思っている。もしかすると、こういったことが「生きる前提」とされた社会であれば、子どもたちがもっと人生を選択できるのではないかということを、本作を観て改めて考えさせられた。

 幸せ家族は理想であるが、家族ごっこの時代はもう終わり。家族はそうまでして守らなければならないものではない。個人が幸せに満ちるためにさまざまなカタチの人生の選択をできる社会になることが大切なことなのではないだろうか。それが当たり前になるまでには、まだまだ時間がかかるだろう。しかしそういった考えを持つものがひとり、またひとりと現れ、それを自分の子どもや誰かに話すことで社会は少しずつ変化していく。子どもたちの居場所においての多様化、そして母親も父親も人間ひとりひとりが自分を大切にできる社会が訪れる日を楽しみにしている。それまでは、優太や梨花のように苦しむ人が現れた時、おじちゃんや詩織のように寄り添うことのできる人でいたいと強く思った。

作品情報

せんぶ、ボクのせい
2022年8月11日(木・祝)から新宿武蔵野館ほかにて全国順次ロードショー

監督・脚本:松本優作
出演:白鳥晴都、川島鈴遥、松本まりか、若葉竜也、仲野太賀、オダギリジョー
エンディング・テーマ:大滝詠一“夢で逢えたら”
配給:ビターズ・エンド
© 2022『ぜんぶ、ボクのせい』製作委員会