FILM REVIEW

『ミッドナイトスワン』Midnight Swan(2020)-Eiji Uchida

▶︎暗闇に差し込む儚くも美しい一筋の光

第44回日本アカデミー賞において最優秀作品賞・主演男優賞・新人俳優賞を受賞。他の部門の最優秀賞受賞作品からみて、風向きは『Fukushima 50(2020)』に向いていると予想される中での見事な受賞。元トップによる性差別発言で、改めてジェンダー平等への取り組みを掲げることとなった東京オリンピック組織委員会の件といい、2021年は日本の古臭い風習が僅かながらでも確実に動き出していることを実感。或いはそれが例え世界へ向けてのただのポーズであったとしても、わたしはこれらが未来に向かう意味のある大きな一歩であると願いたい。

最近の徐々に増えつつある邦画におけるLGBTQを扱った作品の中でも、本作は特に痛くて繊細で、多くの人々の心を揺さぶる、所謂感動的な作品として仕上げられている。涙を誘うちょっぴり大袈裟な演出には多少違和感は残るものの、それでもこうやって日本国内のトップの作品として評価されることによってLGBTQについて多くの人々に考える機会を与えたことは歴史に名を残すに相応しい素晴らしい快挙であることに違いはない。昨年受賞の『新聞記者(2019)』に続き、ちっぽけな映画の一鑑賞者のわたしでも日本アカデミー賞の発表をなんだか面白く感じることができて、とても嬉しい。

Eiji Uchida(内田英治)が監督・脚本を務め原作小説も執筆。そしてTsuyoshi Kusanagi(草彅剛)がトランスジェンダー役の主演を務めたことで公開当時から大きな注目を集めていた。わたしが鑑賞をしたのは2020年10月。日本橋のTOHOシネマズで恐ろしいほどに号泣していた。やはり映画は一人で鑑賞するに限る。そしてコロナ禍の今の映画鑑賞時には必ず替のマスクを準備しておく自分を、小さく褒めてあげたことを鮮明に記憶している。そんな約5ヶ月前の鑑賞ノートを引っ張り出し、今回改めてこの“暗闇に差し込む儚くも美しい一筋の光”のような作品について記事にしようと思う。

*ニュース番組やワイドショーに願うこと
週明けの本日、日本アカデミー賞関連のニュースを観ていて思う。作品賞を受賞したのだから、監督にももっと注目して欲しい。各部門それぞれ最優秀受賞者がいるにせよ、最優秀作品賞だぞ。スタッフひとりひとりの力の結晶だぞ。舞台挨拶も同じ。需要がある有名俳優に注目させたい気持ちはわかるけれども、そこばかりにスポットライトを当てないで。映画というものは役者だけじゃない。

▶︎あらすじ

新宿にあるニューハーフショークラブ「スイートピー」で働く凪沙は、自身がトランスジェンダーであることを親族に隠していた。故郷、広島から時々かかってくる母親からの電話には、男の声色で応対している。そんなある日、凪沙の元へ親戚の娘一果が預けられることとなる。

▶︎作品批評 *ネタバレ含みます

画像出典:『ミッドナイトスワン』公式サイト

4人のトランスジェンダーがショウの支度をするシーンから物語ははじまる。少しグリーンがかった目にも美しい映像に、冒頭から吸い込まれた。それは、くもりのかかった瓶に閉じ込められた美しいシーグラスを思わせた。さらに、Keiichiro Shibuya(渋谷慶一郎)の繊細で上質な音楽が、この作品に最後の息を吹き込む。そしてそこで織りなす儚くも美しいストーリー。草彅剛の圧巻の演技力を筆頭に、Misaki Hattri(服部樹咲)の初々しく透き通った演技、そして毒親を熱演したAsami Mizukawa(水川あさみ)、草彅剛と同じくトランスジェンダー役を演じたSyunsuke Tanaka(田中俊介)、Tomorowo Tanaka(田中トモロヲ)、Kaito Yoshimura(吉村界人)、また自身もトランスジェンダーを公言しているReo Sanada(真田怜臣)、バレエスクールの講師をナチュラルに演じたSei Matobu(真飛聖)などの素晴らしい演技にも注目するべきだ。

まずタイトルに注目してみる。『ミッドナイトスワン』というタイトルは、冒頭のシーン、そして物語の軸となっている一果の才能からもわかるように、チャイコフスキー作曲のバレエ「白鳥の湖」を示しているのだろう。悪魔に魔法をかけらて昼は白鳥の姿になってしまったオデット。しかしジークフリートと恋に落ち、もう少しで結ばれ、魔法も解けるというところで、オデットの姿をした悪魔の娘オディールに邪魔をされる。最後にはジークリフト王子が悪魔との戦いに勝利するのだが、白鳥の魔法は解けなかった。そのことに絶望してしまったジークリフト王子とオデットは、湖に身を投げ自害し、来世に結ばれるというストーリー。また、ハッピーエンドで幕を閉じるストーリーもある。そしてバレエとしての特徴は、一人が二役を演じるということ。

作中には二人の白鳥役のプリマが登場する。一人は草彅剛が演じた凪沙。髪を触るなどの自然な仕草や目線には色気があり、また特に夜の彼女は発する言葉のひとつひとつからは、自分らしく生き抜いてきた誇りと強さが溢れている。しかし同時に、時折見せるその表情、特に昼の表情には孤独感や苦しさが滲んでいた。もう一人の白鳥役は、ダメ母親からのネグレクトや虐待に耐えていたのは服部樹咲が演じた一果。夜の一果は、行き場のない怒りや悲しみ、苦しみを、自分の腕を噛むことで紛らわせていた。ここの描写はグッときた。この腕を噛む行為、とてもよくわかる。自分の身体に痛みを与えることで、心の痛みを一瞬忘れることができる。そして痛みこそが自分が生きているという実感でもあるのだろう。そしてバレエという才能と自分が心の底から熱中できることを見つけた昼の一果はキラキラと輝いていた。つまり凪沙は、夜に輝くオデットに、昼には暗闇に落ちたオディールに。そして一果は、昼に輝くオデットに、夜に踠き苦しむオディールに当てはめることができる。

この二人のプリマには、それぞれ全く異なる結末が待ち受けることになる。

凪沙は一果という存在が現れたことで、生きる意味を見つけ、一果へ無性の愛を注ぐようになる。不器用な二人の距離がグッと縮まった、「ハニージンジャーソテー」のくだりには、幸せな笑いが思わず溢れてしまった。こういう一言のスパイスが、全体的に重くなりがちな空気感をスッと軽くしてくれる。一果の幸せのためなら、自分のプライドや“らしさ”までも捨てることを厭わない凪沙。ついには昼間、男として働くように。採用面接のやりとり、そして作業着に書かれた本名から、トランスジェンダーの社会からの風当たりの強さと、トランスジェンダー自身の生きづらさがはっきりと示された印象的なシーンである。しかしそんな凪沙に「頼んでない」という言葉を放った一果。彼女もまた凪沙への愛から、自分が輝くことの犠牲になって欲しくないと望んでいたのだ。互いに互いを想う二人は、一果の実の母親によって引き離されてしまう。自分が母親でないから一果にバレエを続けさせられない、そして一緒にいることが叶わないのだと思いつめた凪沙は、ついに性転換手術を決意する。

画像出典:『ミッドナイトスワン』公式サイト

この後の凪沙がたどる末路には賛否両論が分かれている。わたしは違和感を感じたものの、まあ号泣だった。しっかりと内田監督の映画の設計に乗っかった形であろう。人間の感情を揺さぶるポイントは、作品の中で最も重要なことなのだ。見え見えの運びに、そこで冷めてしまう人もいるかもしれないが、一方でドストライクにハマってしまう人もいる、そしてわたしのように違和感を感じながらも流れに呑み込まれる人もいるだろう。何はともあれ、LGBTQということについて、どんな形でも考えるという行為が行われること自体が、この作品から受け取る大切なテーマなのだとわたしは思う。

▼作品データ

『ミッドナイトスワン』(日本)
公開:2020年
原作:『ミッドナイトスワン』Eiji Uchida
監督・脚本:Eiji Uchida
撮影:Maki Ito
音楽:Keiichiro Shibuya

▼鑑賞データ

TOHOシネマズ日本橋
*現在上映中(2021.03.22現在)→アップリンク渋谷