MINI THEATER

『17歳の瞳に映る世界』Never Rarely Sometimes Always(2020)-Eliza Hittman

Never Rarely Sometimes Always 17歳という季節

映画boardに投稿させていただきました。

▶︎【性別に関係なく全ての“人間”が今考えなければならないこと】女のリアルを描いた『17歳の瞳に映る世界』

※映画boardクローズのため、記事内容を掲載しています

第70回ベルリン国際映画祭では銀熊賞(審査員グランプリ)の受賞、サンダンス映画祭2020においてネオリアリズム賞受賞をはじめ、世界中の映画賞を総なめにしている『17歳の瞳に映る世界』。これは単なるティーンエイジャーの青春ロードムービーではない。性別や年齢に関係なく、全ての“人間”という生き物に必要な作品だ。

『17歳の瞳に映る世界』

監督・脚本はエリザ・ヒットマン(Eliza Hittman)。長編映画三作目となる本作が日本劇場において初公開となる。2013年に製作された『愛のように感じた』は2021年8月劇場公開を控えている。主演・オータムにはシンガーソングライターとしても活躍し、本作が映画デビューとなったシドニー・フラニガン(Sidney Flanigan)、 従姉妹で親友のスカイラー役は、ブロードウェイにも出演し英国版VOGUEの「2021年ハリウッドの新時代をリードする6人の俳優」にも選出されたタリア・ライダー(Talia Ryder)が務めた。またミュージシャンでもあり女優でもあるシャロン・ヴァン・エッテン(Sharon Van Etten)がオータムの母を演じ、本作主題歌である「Staring at a Mountain」も担当した。

さらに注目すべきは実力派の錚々たる製作チーム。撮影を担当したのはアニエス・ヴァルダ監督作『アニエスの浜辺』でセザール賞最優秀ドキュメンタリー賞を受賞したエレーヌ・ルヴァール(Helene Louvart)。エリザ・ヒットマン監督の前作に当たる『ブルックリンの片隅で』においてもインディペンデント・スピリット賞最優秀撮影賞にノミネートされた。プロデューサーにはバリー・ジェンキンス監督作『ムーンライト』で知られるアデル・ロマンスキー(Adele Romanski)、そのアデルと共に2016年アマゾン・スタジオ・プロデューサーズ・アワードを受賞したサラ・マーフィー(Sara Murphy)が名を連ねている。

あらすじ

ペンシルベニア州に住むオータムは、愛想がなく、友達も少ない17歳の高校生。ある日、オータムは予期せず妊娠していたことを知る。ペンシルベニア州では未成年者は両親の同意がなければ中絶手術を受けることができない。同じスーパーでアルバイトをしている、いとこであり唯一の親友スカイラーは、オータムの異変に気づき、ふたりで事態を解決するため、ニューヨークへ向かう……。

映画評論

性別や年齢に関係なく全ての“人間”に必要な作品

まずはじめに伝えたいのが、この作品は今という時代を生きる全ての人々に必要な作品であるということ。

実は私が本作を鑑賞した日、エメラルド・フェネル(Emerald Fennell)監督作でありキャリー・マリガン(Carey Mulligan)が主演を務めた『プロミシング・ヤング・ウーマン』も鑑賞した。テンションは違うものの、ざっくりと言えばどちらも「女」という性であるが故に受ける痛みや苦しみについて描かれている作品だ。観賞後、少し寒いくらいだった映画館を出てギラギラ青く眩しすぎる渋谷の街に出たとき、私の胸はぎゅっとキツく締め付けられた。映画という世界に描かれる「リアル」とは比べものにならないほどの「リアル」が今私が立っているこの場所には数え切れないほど存在している。そう思っただけで吐き気がした。
この世界に自身の性別を自ら選んで生まれてくる人間は一人もいない。それは神のいたずらなのか?はたまた因果応報の仕業なのか?誰にもわからない。私たちは一人の人間として生物学的に与えられたその身体と共に、生から死へと向かって人生を歩まなければならないのだ。

世の中女性ばかりが悲劇のヒロインではない。悪魔のような女性もいれば天使のような男性もいる。もはやそこに性別による区別は必要ではない。しかしただ「女」という身体を持って生まれただけで背負う、あまりにも重い宿命という現実からは目を逸らすわけにはいかないのだ。

17歳という年齢でオータムが妊娠し、中絶しなければならなかった理由を考えてほしい。そして中絶するために地元のペンシルベニアからニューヨークへわざわざ行かなければならなかった理由を考えてほしい。どうしてもお金が必要なときに彼女たちがとった行動の理由を考えてほしい。

*以下の記事中、作品の内容に触れている箇所がございます。ネタバレを避けたい方は観賞後に以下へとお進みください

「女」の日常 ※ここからネタバレあり

主人公のオータム、従姉妹のスカイラーをはじめ、身体が「女」である人間の日常が静かに映し出されている。押しつけがましい説明や過剰な演出はなく、口数の少ないふたりの目の動きや独特の間、さらに美しいカメラワークでその空気感が丁寧に伝わってくる。
文化祭での男子学生からの「メス犬!」という野次、バイト先でのセクハラ、毎月やってくる生理痛、肩に残るブラジャーの紐の跡。そして父親(義父)がメスの飼い犬と接するたびに感じる、どうしようもないほどの不快感。

あまりに普通の出来事で、意識しなければ気にも留めない日常。それを客観視させてくれることで、私があなたがあの人が、どうやってここまで生きてきたのかを改めて知ることができる。「女」の身体を纏った私たちは、自分の心と関係なく常に「男」の身体を纏った人間の性本能による危険に晒されている。それは「男」の身体を持った人間に比べて圧倒的に高確率なのだ。

17歳という季節

17歳の女性の物語に今までいくつ出会ってきただろうか。17歳(あるいはその前後)というのは男女問わず、ガラスでできた毛細血管のように複雑で繊細な季節。

そのような季節もまた、オータムの瞳を通してリアルに映し出されている。

“やりたくないのにさせられて 言いたくないのに言わされる 彼は愛の支配者 あたしを自由に操る”

冒頭、オータムは高校の文化祭で歌った。愛に未熟な17歳、同じような想いをした人は少なくないだろう。私もまたその一人だった。愛が何だなんて分からずに(今でも微妙だが)、不確かなその愛らしいものに溺れ、求められるままに従うことしかできない。彼が白いものを黒と言えばそれは紛れもなく黒、彼を救えるのはこの私だけ……。今思うと馬鹿すぎる黒歴史であり、「おいお前、ちゃんとお前のいる世界を見ろ」と当時の自分に伝えてやりたいのだが、当時はくそ真面目にそうあったのだ。自分でも気付かないうちに相手に支配され、心も身体もボロボロ。私の場合、目が覚めるのに何年かかったことか。その点オータムは17歳で自身の経験に自らケリをつけている。私からすると尊敬しかなかった。 

話が逸れたが、他にも作中で私が共感したのが、ウィメンズ・クリニックでの妊娠検査の陽性結果を突きつけられた後のオータムの行動だ。安全ピンを探し、キッチンのコンロで炙る。そして氷で冷やした鼻に突き刺す。実はこれについても、私自身同じ経験をしている。耳のピアスホールも、今は閉じてしまったが鼻と口も、全て高校生の時に安全ピンで自分で開けたものだ(危険ですので真似しないでくださいね)。イライラや苦しさが押し寄せると、自分を傷つけ痛みを感じることで一瞬だけでもその辛さを忘れることができる。子供から大人へと一つステージを上るティーンエイジャーの複雑な心の動きと、抑えられない衝動が繊細に表現されたシーンであった。

17歳は実際にはたった1年。けれど多くの人にとって17歳やその前後は人生において忘れられない季節なのだ。

寄り添う誰か

このような世界で、静かに踠きながらも必死に生きているオータムのそばにはいつも従姉妹であり親友のスカイラーがいた。彼女の存在がオータムにとってどれほど支えになったことだろう。スカイラーがオータムのために「女」を生きる術として利用して何も言わずにとった行動は、善なのか悪なのか?これは「中絶は悪なのか?」ということに似ている気がする。

そしてもう一人、オータムに寄り添ったのが、中絶のために訪れたヘルスセンターで初めて出会ったカウンセラー、ケリーだ。彼女はこれまで何百人もの女性に同じ質問を繰り返してきたのだろう。原題にもなっている4択。Never(一度もない)、Rarely(滅多にない)、Sometimes(時々)Always(いつも)。

彼女の優しい口調や細やかなオータムへの接し方から、いつも目の前にいる悩みを抱えた女性に包み込むような愛で寄り添っていることが感じられる。オータムとはたった2日の付き合いであるが、彼女がいなければきっとオータムはいつまでも顔を上げて前を向くことができなかっただろう。

寄り添う誰かはきっといる。そして自分も誰かに必ず寄り添うことができる。その繋がりが、世界は決して絶望ばかりではないと教えてくれているのであった。

中絶への考え方

この作品においての最も大きなテーマが「中絶」。エリザ・ヒットマン監督は2012年にアイルランドで起きたある悲劇をきっかけに本作の製作を始めたそう。当時28歳のサビタ・ハラパナバルさんははじめて子供を妊娠した。しかし敗血症のため流産しかけてしまうのだが、中絶が違法とされていたため中絶手術を受けられずにこの世を去ってしまった。(現在アイルランドでは妊娠24週まで中絶が認められることとなった)

本作の舞台となっているアメリカでは中絶に関して大きく意見が分かれ、中絶権を支持するプロチョイス派とそれに反対するプロライフ派に分断されている。作中に出てきたペンシルバニアのウィメンズ・クリニックでは、医者が出産と中絶を迷っているオータムに「辛い真実」という中絶は酷い暴力であるといった内容を示したビデオを見せる。また中絶手術を行っているニューヨークのヘルスセンター「プランド・ペアレントフッド」前には、プロライフ派が集まり、圧力をかけるかのように賛美歌を歌っている。さらにこの分断に政治が絡むことによって、単純な「女性の権利」という観点のみならずより事態を複雑化させているのである。

では私たちの暮らす日本においての中絶のことはご存知だろうか?

日本には明治時代に制定された「堕胎罪」がある。しかし1948年に制定された「母体保護法」により、医師会に指定された医師が行う堕胎、つまり中絶については認められている。ただし中絶手術は妊娠22週未満まで、妊娠12週以降は死産の届出が必要。基本的には本人とパートナーの同意書が必要(連絡が取れないなどの場合は不要な場合もあり)、未成年の場合は親の同意書が必要となる。手術費用は保険適用外で、初期中絶は10万〜15万円程度、中期中絶は30万〜50万円程度に加えて入院費や埋葬費が必要となる。

中絶についてそれぞれの考え方があるのはいい。しかし望まない妊娠をした女性に対してのサポートと選択肢は絶対に必要であると私は思う。それは簡単なこと、あなたの子供がもしそうだったら?あなたの姉妹がもしそうだったら?あなたの親友がもしそうだったら?答えは明白ではないだろうか。 

この作品を通して多くの人に考えてほしいと思った。

「男だったらって思う?」
「いつも」

こんな言葉が女の口からさらりと出る世界であってはならないのだと。

作品情報

『17歳の瞳に映る世界』
TOHOシネマズ シャンテ他全国にて絶賛公開中!

監督・脚本:エリザ・ヒットマン
出演:シドニー・フラニガン タリア・ライダー セオドア・ペレリン ライアン・エッゴールド シャロン・ヴァン・エッテン
プロデューサー:アデル・ロマンスキー、サラ・マーフィー
製作総指揮:ローズ・ガーネット、ティム・ヘディントン、リア・ブマン、エリカ・ポートニー、アレックス・オーロブスキ、バリー・ジェンキンス、マーク・セリアク
2020年/アメリカ/101分/ユニバーサル作品
配給:ビターズ・エンド、パルコ
原題:Never Rarely Sometimes Always
公式サイト:https://17hitomi-movie.jp/