MINI THEATER

『あつい胸さわぎ』(2023)-Shingo Matsumura

映画『あつい胸さわぎ』

 劇作家である横山拓也による、演劇ユニット「iaku」 の舞台『あつい胸さわぎ』を、上海国際映画祭アジア新人賞を受賞したまつむらしんご監督が映画化。脚本を『凶悪』で日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞した髙橋泉が手掛けている。主演は『メイヘムガールズ』(22)で長編映画初主演を果たしたばかりの吉田美月喜、その母親を常盤貴子が演じる。さらに、千夏(吉田美月喜)の恋の相手・川柳光輝役を奥平大兼が、母の職場の同僚・花内透子役を前田敦子、同じく母の職場で働く木村基晴役を三浦誠己が、そして千夏の友人・ター坊こと水森崇役を佐藤緋美が務めた。

 「若年性乳がん」という重いテーマを扱いながら爽やかでキラキラと輝く、美しい作品。小さな港町で繰り広げられる、母と娘、そしてふたりと繋がるひとびととの関わりが優しくコミカルに描かれている。性別や年齢に関係なく知っておきたい女性の体と心のこと。思春期を通過したひとも、いままさに思春期だというひとも、ぜひ鑑賞してほしい。これからも続いていくであろう人生のなかで、この作品を「知っている」と「知らない」とでは、何か違いが生まれてしまうような気がしてならない。わたしにとってはそれほど大切な1本となった。

あらすじ

 武藤千夏は港町の古い一軒家で母・昭子と暮らす大学一年生。小説家を目指し、念願の芸大への入学を果たした。大学からは、「初恋の思い出」という創作課題を出され頭を悩ませていた。それは千夏の初恋がある一言によって苦い思い出になっていたからだった。しかし大学でその初恋相手・川柳光輝と再会したことで、千夏は再び胸が踊り出していることを感じていた。そんな中、昭子が千夏の部屋を掃除している時に“乳がん検診の再検査”の通知を見つける……・

作品評論

知っておきたい「女性の心と体」のこと

 「若年性乳がん」のこと知っていますか?わたしはその存在は知ってはいたものの、ここまで若い女性も罹る病気なのかと正直驚かされた。少し調べたところ、「若年性乳がん」とは一般的には20代、30代で診断された乳がんのことをいい、学術的には34歳以下の乳がんのことを指すことが多いそう。10代〜30代で乳がんを発症する人は年々増加。また、乳がん全体の約1%は男性乳がんだということにも驚かされた。つまり可能性はわずかではあるものの、誰でも罹る可能性がある病気なのだ。※詳しくは国立研究開発法人国立がん研究センターのサイト

 本作はその「若年性乳がん」を間違えなく主軸に置いているのだが、それと並んで「恋」というものも軸に置いている。同等、あるいはサブ主軸といったところだろうか。そのどちらも同じ「胸」、それはつまり女性の心(胸)と体(胸)のことだ。ただし本作は、病気を扱う映画やドラマ、小説によくある「ある日突然恋する若い女性が、病気を患いだんだんと衰弱していく刹那のラブストーリー」といった、期待を裏切ることなく泣かせにくる作品とは一味も二味も違う秀逸なもの。なにしろ主人公の千夏はまだ彼氏ができたことがないのだから。その点では、恋愛映画の一歩手前の恋愛映画なのだ。そんな千夏が「若年性乳がん」を患う。千夏自身はどのような思いを巡らせ、母をはじめ周囲のひとびとは千夏に対してどう接していくのか。それが、絶妙なユーモアをおびながらリアルに描かれている。

 また、千夏は大学から出された「初恋の思い出」という小説の課題を通して、過去の自分を振り返っていく。成長に伴い変化する体のこと、男子のこと、母親のこと、恋のこと……。そして現在。思春期のはじまりから終わり(間近)まで、繊細に揺れ動く心についても、非常にうまく示されている。また、母の同僚であり千夏の頼れるお姉さん的存在である透子、そして母・昭子という、千夏を含めて3人の女性を登場させることで、恋というものに対して、異なる年齢によっての向き合い方の違いがはっきりと見えるのも、この作品のおもしろいところである。

漫才のような母と娘のやりとり

 冒頭から、母・昭子と娘・千夏のやりとりは漫才さながらわたしたちを楽しませてくれる。これがまた本作の魅力をぐっと引き上げているのだ。まつむら監督が、“太陽のような温かい存在感”と出演を熱望した常盤貴子さんは、作中においてまさにそれ。あんなに美しいのに、「おばちゃん感」全開で、本当にチャーミング。ギューっと抱きしめてもらったらおひさまの香りがしそうだ。ちょっぴり抜けているところも心配性なところも、時にはウザくて嫌になっちゃうけれど、最終的には憎めない可愛い母親。そしてちょこちょこ出てくるお金の話が、母子家庭のリアリティもちゃんと出している。

 このふたりは全然完璧ではない。娘はまだまだ大人になり切れていないところがあり、母も抜けたところがある。母親の方は寧ろ、良かれと思ってする行動が反対に娘を怒らせたりと失敗が多い。けれどそれをうやむやにせず、間違えに気づいたら娘に謝罪もする。母親だってはじめて母親をやっているのだから、完璧なわけがない。娘もそれをきっとわかっているのだろう。この母娘はふたりでひとつ。バチバチやり合いながらも、深いところでお互いをしっかりと支えている。そういうところが素敵だなと思える。

ナチュラル派俳優陣が生む心地よいテンポ感

 個人的に、演技っぽくない演技が大好きなわたし。実力派でありナチュラル派俳優の演技というものは、ただただ尊い。本作で多くの方がその魅力に取り憑かれたであろう、佐藤緋美さん。『ムーンライト・シャドウ』(2021)のあの演技は、ずっと頭の奥にこびりついている。本作でもまた、そのイカした演技に魅了された。カメレオン俳優ともまた違い、どんな形にでもなるアメーバのようであり、さらにそこに独創的なものがプラスされた不思議な魅力を纏っている。アーティストのHIMIくんもめちゃくちゃかっこいいので、彼の歌声をまだ聴いたことがない方はぜひ。

 奥平大兼さんは『マザー』からリアルすぎる演技が話題に。役者を目指す芸大1年男子学生・光輝がそこにいる。あの演技には、共演者も引っ張られそうだなっといつも思う。役なのか?現実なのか?線引きが曖昧になってしまうのではないかとさえ考えてしまう。これから、ここからさらにどんな役者になるのかと楽しみしかない。

 透子を演じた前田敦子さんも、わたし的前田敦子さん史上No,1といえるほど好きな演技だった。ここ数年で表現の深みがグイッとあがっている気がする。大学生からみたらすごく大人、だけど大人のなかでは若者。しっかり者で我が道を突き進みつつも、まだまだやっちまうこともある。薄っぺらでなく、その人の歩んできた人生をなんとなく想像できるいい演技だった。

美しい舞台

 映画館で本作の上映を観ながら息を吸ったら、とてつもなく美味しい空気が吸えそうなほど美しい港町。澄み渡った空気が、汚れた心まで浄化してくれそうだ。和歌山市雑賀崎がメインのロケ地らしく、いつかふらっとひとり旅で訪れてみたいと思った。

 家を出て駆け降りる階段。細い路地を抜けて坂の下に停めておいた自転車に乗り、海を横目に見てぐんぐんと風を切る。千夏が大学へ行くために駅へと向かうこのシーンで、千夏とその周囲のひとびとを育てた街の温度を感じる。濃縮されたそのシーンは、爽快で美しい。そしてラストへも続くシーンとなる。

 光をたくさん取り込んだ画は、例えば音がなく視覚だけでもその内容がわかるほどに感情を持っている。キッチンの窓から差し込む光は、とてもあたたかく優しい。検査の結果を知ったあとの千夏の頭のなかには黒い雲が立ち込め、身体中がヒリヒリとした痛みでいっぱいだ。

 そして注目したいのが「青色」。優しいキッチンのタイルもそのひとつだが、本作では至る所に印象的な「青色」が散りばめられている。千夏の部屋のベッドカバー、カフェのグラスに施された雫模様、昭子の職場のポロシャツ、やじろべえの両端にある玉、ピエロのアイシャドウ、サーカスへ行く際の千夏のワンピース、千夏が子供の頃プール遊びをしていたときに着ていたTシャツ、そして空の青、海の青。なかでももっとも印象的なのがター坊。ター坊はリュックも、リュックの中に入っている色鉛筆も、シャツも、そしてあのラストの色も「青色」なのだ。千夏を取り巻く「青色」。その多くは千夏をやさしく包んでくれているようにわたしは感じた。

 重めのテーマと対比して、美しい風景のなかで繰り広げられる日常。病気はたしかに恐ろしい。たしかに辛く、たしかに絶望を感じずにはいられないであろう。それでもあのラストが、千夏に光を見せてくれている。がんばれ、がんばれ、がんばれ。心の中で、わたしもそう叫んだ。

作品情報

公式サイト

『あつい胸さわぎ』
2023年1月27日(金)より新宿武蔵野館、イオンシネマほか全国公開中

監督:まつむらしんご
原作:戯曲『あつい胸さわぎ』横山拓也(iaku)
脚本:髙橋泉
出演:吉田美月喜 常盤貴子
前田敦子 奥平大兼 三浦誠己 佐藤緋美 石原理衣
配給:イオンエンターテイメント/SDP
コピーライト:2023 映画『あつい胸さわぎ』製作委員会