『君は行く先を知らない』
『白い風船』(1995)や『人生タクシー』(2015)を手がけたイラン映画界の巨匠、ジャファル・パナヒ監督。映画制作を通してイラン政府と自由をめぐり戦ってきたことでも知られている。そのジャファル監督の長男パナー・パナヒ監督の長編デビュー作、『君は行く先を知らない』。父であるジャファルがプロデューサーを務め、第74回カンヌ国際映画祭の監督週間に正式出品された。
監督自身の家族や友人に起きた出来事が反映された物語となっており、そこからイランの人々のリアルが見えてくる。ユーモラスでありながら、サスペンス、ファンタジー、ミュージカル、そして人間ドラマが混ざり合った本作からは、自由を求め政府と闘い続ける父の姿を間近で見てきた息子の、途轍もなく強い意志と覚悟を感じることができる。
あらすじ
イランの荒野を1台の車が移動していた。そこには足にギプスをつけた父親、はしゃぐ次男、カーラジオから流れる音楽にノる母親、静かにハンドルを握る長男、そして1匹の犬の家族が乗っていた。
この旅に持ってきてはいけないと言われていた携帯電話を持っていた次男は母に叱られたうえに、母はその携帯電話を道端に捨ててしまった……。
作品評論
作品の内容に触れています。ネタバレにご注意ください。
センスのよさによって透けて見える苦しみ
全体を通してとにかく構図が素晴らしい。フィックスや長回しなどのテクニックも多数使われ、視点によって楽しめた。ロングショットにより広大なイランの大地がスクリーンいっぱいに広がり、まるで自分の瞳に映る情景を見ているようだった。
こちら側にいるわたしたちもこの家族とともに旅をする。家族のなかで旅の行く先を知らないのは次男だけ。そしてわたしたちも大事なところは観ることができない。『君は行く先を知らない』、つまりわたしたちは次男とおなじタイトルの「君」なのだ。なんとも素晴らしい邦題。
どこまでも続く荒野、霞んだ空、借りもののシルバーのパジェロ……。灰色がかったその景色は、美しくも空虚だった。そこには目には映らぬ人々の不安や怒り、悲しみや落胆、そして絶望といったさまざまな感情が渦巻いており、スクリーンを破った向こう側が透けて見えるようで苦しくなった。
面白かったのが、ストーリーが進むにつれロングショットが多くなるところだ。離ていく物理的な家族の距離とカメラ。終盤の肝心なシーンは登場人物の表情がほとんど見えない。遠くから舞台を見ているようで、それを見ながらキャストの感情的を想像することができた。センスのいいクールな映像表現、観客の引き込み方、わたしが大好きなタイプの作品だ。
ユーモアたっぷりの巧みな会話劇
検閲を潜り抜けるため、核心をつかない。しかし根底には深く重いテーマをひっそりと置きながら、ユーモアたっぷりに描かれている。
家族の会話劇、その多くはとりとめのないもののようではあるがそれこそが生きている人間の家族の会話であり、「生活」なのだ。どうでもいいことで笑ったり怒ったり。そして反省したと思えばまたぶつかり合ったり。この家族のまるで生産性のない会話劇こそがユーモアであり、物語に見事な緩急をつけている。それぞれのキャラクターがしっかりとたっているのもこの巧みな脚本のおかげといってよいだろう。恥ずかしいほど平和ボケした日本人のわたしであっても、この物語の登場人物に心を寄せたりどこか自分を重ねたりできたのは間違えなくこの家族の会話劇のおかげだ。
個人的には『2001年宇宙の旅』を「禅」という長男と友だちになりたいと思った。なぜならわたしもそう感じたから。母から溢れる「行かないで」という言葉。後半の『2001年宇宙の旅』と愛犬ジェシーの死。これが、永遠の別れでないことを願う。
無言と細やかな表情をとらえたカット
無言の父親の表情だけをとらえたカットが非常に印象的であった。テンポのいい会話を繰り広げる家族の中で、寡黙でありながらもちょっぴりお調子ものの父。表面には出さない、彼の内面の部分がこの無言のカットから読み取れる。
何ヶ月も足のギプスを取らない。それは自分自身が長男と一緒に行けないことを納得するための理由か?だれかの痛みを背負うためのものだろうか?ギプスに描いた鍵盤で次男が楽しくピアノ遊びができるようにするためだろうか?ラストの、抑えていたものが溢れ出した父の姿を目にしたときには胸がしめつけられた。
天真爛漫な二男がくれる幸福感
本作に子役として参加したラヤン・サルアクは撮影当時である2020年、若干6歳。天真爛漫としか言いようのない愛とエネルギーが溢れる演技は素晴らしかった。本当に旅を楽しみ、ときには拗ねて怒って、戯れあうように会話を楽しんでいるようだった。あんな演技ができるものなのか?とただただ驚かされた。
母は時折別れの寂しさがはみ出してしまっていたが、この次男のお陰で、母も兄も父も、そして彼らと一緒に旅をするわたしたちにも刹那の幸福感を与えてくれたのだった。それはカメラを通さない現場そのものなかでも、幸福感を齎してくれる存在であったであろう。
また、カーラジオから流れてくるイラン革命前の音楽もとてもよかった。あの哀愁的な音楽が本作のいいスパイスになっている。とくラストの楽曲にあった「夜につかれたあなたに 神のご加護を」という歌詞は印象深い。本音は、本心はね、言えないけれど音楽が語ってくれる。そして車の中だからこそ熱唱はできるものだ。作品の中では、おそらく政府の規制がかかっている音楽を熱唱しているのだが、例えば政府の規制がない日本であっても、そういうことはある。感情をふと曝け出してしまうことが。車の中というのは、ある意味家よりも素直になれる特別な場所なのかもしれない。
「生存して人間として活動する」こと
こんな国もあるんだ。それだけでよいのだろうか?
人間は1日、1時間、1分、1秒、「生活」をしている。おなじ地球で、おなじ「生活」というものをしている。けれど国が変わるとその「生活」に違いが出てきて、都市が変わるとまた違いが出てきて、町が変わると、年齢が変わると、ひとが変わると……、と最終的にひとりひとり違う「生活」をしている。それはあたりまえのことであるが、ではどこからは「生活」、即ち「生存して人間という生体として活動する」ことが同じであるべきか?人間が人間として活動するために、最低限なにが必要なのか?ね、国を動かすひとびとはどう思うのだろうか。と、そんなことを考えるのだった。
作品情報
『君は行く先を知らない』
2023年8月25日(金)より新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国ロードショー中
原題:HIT THE ROAD
製作:ジャファル・パナヒ(「人生タクシー」)/パナー・パナヒ
脚本・監督:パナー・パナヒ
出演:モハマド・ハッサン・マージュニ、パンテア・パナヒハ、ヤラン・サルラク、アミン・シミアル
2021年 | イラン | ペルシャ語 | 1.85:1 | 5.1ch | カラー | 93分 | G | 英題:HIT THE ROAD |
日本語字幕:大西公子
字幕監修:ショーレ・ゴルパリアン
後援:イラン・イスラム共和国大使館イラン文化センター
提供・配給:フラッグ宣伝:フィノー
©JP Film Production, 2021
公式サイト https://www.flag-pictures.co.jp/hittheroad-movie/