『神様のいるところ』
ずっと観たかった作品をようやく観ることができた。その夜はとても気分がよく、なかなか眠れなかった。
鈴木冴監督は映画とは別のところで知り合った。藝大の修了制作が釜山国際映画祭で上映されることは、何となく話している中で耳にしていた。そんなことも忘れかけた頃、仕事上インディーズ作品ばかり鑑賞している時期があった。その時に鈴木監督のことを思い出し、本作の予告を観た。めちゃくちゃ観に行きたくなったが、時すでに遅し。もう上映されていないとのことだった。映画は観たいときに観なければこういうことになってしまう。こうやっていくつも良作を逃してしまっているんだろうなと、愕然としたっけ。そんな中Twitterで知った本作の2週間限定上映。しかも黒沢清監督とのトーク付き上映がある。そりゃあもう観に行くしかなかった。黒沢清監督作で最も好きなのは「CURE」(1997)。あの不穏さ。ホラー映画とは違う、人間という生き物の奥のもっと奥に潜む“闇”に、強烈に惹きつけられた。秀逸な伏線、そして演出がとにかくクールなんだよな。
そんな黒沢清監督もコメントを寄せた『神様のいるところ』は、鈴木冴監督の東京藝術大学大学院映像研究科の修了制作であり、第24回釜山国際映画祭の「New Currents」でワールドプレミア上映された作品。ひとりの女の子とひとりの女性、ともに孤独を抱えている。出会ってしまったふたりはどこへ向かうのか?
あらすじ
14歳の玲は、台湾人の母と暮らしている。母は日本語はうまく話せず、玲に暴力をふるっていた。ある日、玲は家を出る。そして夜の街で怯える玲に手を差し伸べたのが葵だった。玲はすっかり葵になつき、葵の家から出て行こうとしなかった。そんな中、ある事件が起きる──。
作品評論
サスペンスとファンタジーが濃縮された63分の物語
本作は、ストーリーの前半と後半でその雰囲気が大きく異なる。事件が起こる前半は、現実味があり、主に夜。そしてあっという間に展開する、サスペンスのような仕立てになっている。ところが後半には、前半で怒った事件をすっかり忘れてしまうほど舞台がガラッと転換され、ここはどこ?過去は?未来は?今は一体いつなの?わたしは一体何者なの?状態。不思議な世界が広がり、時間の流れもうまく掴めない。
その象徴が聖天宮。台湾人の創設者がお告げを授かり日本に開廟したという、実在する台湾式の神社だ。ダイナミックな龍の装飾、金色に輝く屋根、細かく仕上げられた彫刻の数々。まさに異世界。そして時々入る、青々とした草原のような場所での食事の準備シーン。さらに気になったのが、キャストの衣装だ。同じ日だと思って鑑賞していると突然服装が変化したり、また戻ったりと、辻褄が合わない。ただ、朝と昼と夜はやってくる。夢なのか?現実なのか?と頭が混乱させられた。
そしてそのファンタジーのような後半に忍び寄る不穏な男、拓海。はじめは人当たりのいい親切な青年といった印象だったが、物語が進むにつれ、再びサスペンスのような怪しい雰囲気に。
63分という短い時間ながらしっかりと濃縮された内容で、120分映画を1本鑑賞したような満足感が得られた。長すぎる感も物足りなさもなく、ちょうどいい感覚。流れるようなストーリーの組み立ての賜物だろう。疑問が残る感じも、わたしにとっては鑑賞後の考察という作品を噛みしめる楽しみとなって、良いものであった。
引き寄せられるふたつの孤独
物語の中をじっくりと考えてみる。荒川ひなたさん演じる孤独な14歳の少女、玲。学校では男子からいじめられ、家でも台湾人の母からDVを受けている。しかし玲からは母への愛が見え隠れしていた。いくら殴られようが、自分の方を見てくれなかろうが、子にとって母親は母親なのだ。「愛されたい」という想い、それこそが彼女が母親に向ける「愛」そのもの。少女から大人になるにつれ、憎しみはますます大きくなるかもしれない。けれどその愛がゼロになることはないとわたしは思う。それは0.000001%かもしれない。しかし必ず、ほんの僅かでも残るものなのだと信じている。
一方、瀬戸かほさんが演じる葵は、職場に馴染めず上司からセクハラも受けていた。詳しい描写はなかったが、わたしが思い描いた葵という人間は、「自分に自信のない依存体質の人間」だ。自分に自信のない人間というのは、すぐに誰かに依存してしまう。しかし、ふと我に返ったときには後悔しかない。葵はモテるわけでも男好きなわけでもなく、自分に自信がないがゆえに、自分に少しでも親切にしてくれる人や自分を頼ってくれる人に依存してしまう。自己肯定感が低いせいで、すぐに流されてしまうのだ。そしてそんな自身のことをよく理解している葵は、自分のことが大嫌いだろう。
そんな孤独なふたりが出会う。それはもう磁石のようなもの。玲は葵を愛し、葵は玲に頼られることで自分がほんの少し好きになったのではないだろうか。しかしもうひとつ、展開が待っていた。
まるで“死神”?不穏な謎の男・拓海
岡本智礼さん演じる拓海。この人はわたしの中では強烈だった。いい人なのか悪い人なのかもよく分からず、“死神”のようにさえ感じた。いい演技ですね、ほんとうに。拓海はこの作品においてかなり重要なスパイスになっていた。スピーディーな前半から、ふわふわとした後半。その後半の物語を一気に海の底から引っ張り上げるような、そんな役割だった。現実に引き戻された玲と葵、それぞれが選んだ道は再び孤独なものだった。けれどこの美しくも儚い逃避行が、ふたりにとってほんの僅かでも、この先の幸せへの小さな希望になってくれるといいなと願う。ま、ふたりをその夢のような時間から引きずり戻した拓海は、死神のようでもあり、あるいは神様であったとも言えるのかもしれない。
風の音、虫の声、電車の音……。夜の音が素敵だった。音のない曇り空の朝が素敵だった。また機会があれば二度目の鑑賞もしてみたいと思う。
作品情報
映画『神様のいるところ』
監督・脚本:鈴木冴
プロデューサー:徳永理仁、ムン・ヘソン
撮影・照明:呉楽
出演:荒川ひなた、瀬戸かほ、岡本智礼ほか
公式サイト:https://saesuzuki914.wixsite.com/kamisamanoirutokoro
(c)東京藝術大学大学院映像研究科