『本心』(2024)-Yuya Ishii
『本心』
※試写
2024年11月8日より映画『本心』が公開された。本作は「マチネの終わりに」や「ある男」で知られる平野啓一郎による同名小説を原作とし、『川の底からこんにちは』(2010)や『船を編む』(2013)、『月』(2023)などで国内外から高く評価されている石井裕也が監督・脚本を務める。
主演は池松壮亮、その脇を田中裕子、田中泯、妻夫木聡、仲野太賀、綾野剛といった豪華俳優陣に加え、近年注目作に出演している水上恒司、三吉彩花が固めている。
2019~2020年に同名小説である原作が東京新聞に掲載され、それを読んだ池松壮亮が2020年に「これを映画化するべきだ」と石田監督へ勧めたことが本作のはじまりだったという。原作で2040年代とされている時代設定を映画では2025年前後とし、デジタル化された近い未来が描かれてる。AIやテクノロジーが急速に進化するこの社会で、人間の本質が問われる革新的ヒューマンミステリーに仕上げられ、鑑賞後にさまざまな思いを巡らせることのできる作品だ。
あらすじ
石川朔也(さくや)は母とふたりで暮らしながら、工場勤務をしていた。ある日仕事中に母から「大切な話をしたい」と電話があり、朔也は帰宅を急いだ。その途中、豪雨で氾濫する川の淵で母の姿を目撃するが、次の瞬間母の姿は見えなくなってしまった。朔也は母を助けようと急いで川へ飛び込むが……
作品評論
手を伸ばすと届きそうな未来のお話
「リアルアバター」、「VF(ヴァーチャル・フィギュア)」、「自由死」がキーワードとなる本作は、よくある大作SF作品のように「遠い未来」を描いた作品ではなく、手を伸ばせば届きそうなほど近い未来が描かれている。原作で2040年という時代設定は映画である本作では2025年前後とした。2025年というと、あと2ヶ月もない。平野啓一郎が描いた未来は急速にわたしたちへと歩み寄り、もう目の前に居て、こちら側と合流するのを待ち侘びているのだ。
そのため本作の世界観は、決して「今」のことではないのにどうもリアル。ちょっとだけ後ろに振り向いて平成を懐かしむように、ちょっとだけ前を見ている感じが心地良くもむず痒いような、なんだかおかしな感情にさせる。
過去を見て感じるのは、懐かしさや後悔。一方で本作のような「近い未来」が描かれた作品では、そこに希望や期待があると同時に、不安や恐怖がある。過去にはない漠然とした感情だ。それが映画と鑑賞者の距離をぐっと近くしていることは間違いない。
「死」が選べる時代、それは自由か?冒涜か?※ここから内容に触れています
事故後、朔也(池松壮亮)が目を覚ますと、秋子(田中裕子)が命の終わりを自由に選択できる制度「自由死」によって死んだと聞かされる。しかし朔也は納得することができず、母にもういちど会って本心を知るために野崎(妻夫木聡)へVF(ヴァーチャル・フィギュア)の制作を依頼する。
これは近い未来のお話。ここにはふたつの「いのち」がある。ひとつは自由死と呼ばれる「終わりを自分で決められる“いのち”」、秋子が決めたとされている自分の命だ。もうひとつは「AIで甦らせることのできる他者の“いのち”」、朔也が決めた秋子の命だ。
まずひとつめの「終わりを自分で決められる“いのち”」。自ら命のはじまりを選択して生まれてくることのできないわたしたちは、この時代に自分の命の終わりを選択できるという自由を手にいれる。本作ではそれを「自由死」と呼ぶ。しかしこの「自由死」には日本が抱える社会問題が絡んでおり、「自由」を語った自殺の斡旋とも受け取ることができるものなのだ。超高齢化となった社会では、ひとりの若者が多くの高齢者を支えることとなり、社会保障が困難に。簡単に言えば、高齢者が「お荷物」状態になってしまうのだ。そのため政府は国の負担を減らそうと「自由死」という法律を制定するのだった。
本作よりもさらに「終わりを自分で決められる“いのち”」にスポットライトを当てて描かれた作品に、早川千絵監督の『PLAN75』(2022)がある。この作品は少子高齢化が進んだ日本に「プラン75」という満75歳から与えられる生死を選択できる制度について描かれたもので、第75回カンヌ国際映画祭において、カメラドール特別賞を受賞するなど高い評価を得た。また現実の社会でも、「尊厳死の法制化等を含めた終末期医療の見直しについて取り組む」ことを党の重点政策として掲げている政党も存在するなど、近年この「いのち」について多くのひとが関心を寄せていることがわかる。
もうひとつの「AIで甦らせることのできる他者の“いのち”」。本作では朔也が母を甦らせている。ここで印象的だったのが、野崎の言葉。「本物以上のお母様を創れます」。メールや日記、写真などの大量のデータを取り込んで創られたVFは、もはや人間を超えるのか?VFはその姿を手にしてからも日々学習することで進化(成長)を続ける。
実はこれに似たビジネスがすでに中国では実際におこなわれているだ。そのサービス内容は死者を動画で復活させるというもので、開発者は「私の夢は、普通の人がデジタルの力で『永遠に死なない』ことを実現することです」(※)と語っている。つまりこちらの「いのち」ももはや身近になりつつあるものだ。
本作ではこのふたつの「いのち」をわたしたちにぶつけてくるのだ。自由死と死者の復活。これは正しい選択か否か?この時代に辿り着くまで日本国民が見向きもしなかった議論でもある。昔と今と未来と、目まぐるしく変化する社会の中で、命の重さに変化はあるのだろうか?あるいはこれは命の重さの問題ではなく、命の自由の問題なのか?“いのち”というものについて、今まさに綺麗事抜きに国民の一人一人が真剣に向き合わなければならない、そのときがまもなくやってくるのだ。
※出典:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1123023
連想せざるを得ない“闇バイト”、浮き彫りになる格差社会問題
岸谷(水上恒司)の誘いによって朔也はリアルアバターの仕事をすることになる。リアルアバターは近年爆発的に広がったウーバーイーツなどの配達員のような出立ちをしており、360度カメラを装着している。そして依頼者の要望する場所へと足を運ぶことにより、依頼者はリアルタイムでその景色を体験できるというサービスだ。依頼内容を終えると依頼者から評価が付けられ、その平均評価が規定を下回ったクルーは契約が打ち切られる。さらにクルーに指示を出しているのはAIで、クルーたちは生身の人間に相談することもできないという仕組みになっている。
岸谷においては、野崎に娘のシッターとして雇われていたがある日クビが言い渡されることに。その後、危ない仕事に足を踏み入れてしまうこととなってしまう。これには最近ニュースで毎日のように目にする、「闇バイト」を連想せざるを得ない。
そして野崎やイフィーのような富裕層と岸谷のような貧困層のコントラスト。格差社会の溝はどんどんと広がり、それはまるで主人と奴隷のような主従関係を築くこととなる。これが近い未来なのかと想像すると、ものすごくリアルで恐ろしい。それは単に貧困層の辛さだけではなく、たとえば富裕層である野崎の娘は明らかに性格が悪く人間味を失っていた。人間が人間味を失ってしまうと、人間の存在価値さえ揺らぐのではないかと思えてしまった。このどうしようもない恐ろしさが、近い未来にどうか訪れないように……と願うばかりだ。
原作と監督とスタッフと
本作によってさまざまな社会問題について考えを巡らせることができたのは、まず、原作者・平野啓一郎に見事な先見の明があり、素晴らしい創作力によって生み出されたストーリーであったということ。やはりこれがもっとも大きいといえる。この原作があったからこそ、池松壮亮が動き出したのだから。わたしは原作未読での本作の鑑賞であったが、これだけ詰め込まれたストーリーの原作に興味を持たないことのほうが難しいように思う。もっとこの作品について深く知りたい、そう思わせるのはやはり原作の力のほかならない。
そしてもちろん、その原作を映画へと落とし込んだ監督・脚本を務めた石井裕也をはじめとしたスタッフの熱量の賜物であることは言うまでもない。印象的なラストに加え、個人的には冒頭の朔也という人間をあらわす数分のシーンが好きだった。石井作品ではいつもこの導入に見入ってしまう。手持ちのエモい画、言葉で語る以上の文字数の多さ。そこに導かれるようにぐっと引き込まれていく自分の内側。わたしが言うのもなんだが、非常に「うまい」。美しさと儚さ、その奥にある「何か」を見てみたいと感情が自然とわいてくる。石井裕也作品冒頭集があったら、ぜひとも購入したいものだ。そして癒し系アニマル動画のように、毎夜ぼんやりと眺めながら寝落ちたい。
さらに超豪華な俳優陣の演技力の高さもまた、作品の深みを出す一役を担うものであった。なかでも田中裕子の演技が印象的。生身の人間、石川秋子とVFの石川秋子の演じ分けが素晴らしかった。それは大袈裟なものではなく、温度感のみが変化したような絶妙なもので、その非常に繊細な技術に感動した。そしてまんまとわたしは、VFの秋子がどうも好きになれないのであった。
池松壮亮に関しては、作品に対する熱量がそのまま役にぶつけられていることをひしひしと感じた。全力、全力、全力。さまざまな人間の感情を、石川朔也というひとりの人間が背負っているかのようで痛い。本心をこちら側へ曝け出し、もがき苦しむ朔也だけが人間だった。
あと無駄遣いかと思われると綾野剛。田中泯の凄みも輝いていた。彼らはあんな数分のカットでどうしてあれほどの空気をつくれるのだろうか。
デジタル社会の急速な進化を思わせるやや速すぎるテンポ感
本作で気になったのが、テンポ感だ。原作未読のものからすると、その速さに戸惑いと少しの違和感があった。
特に恋愛の面では、あれよあれよという間に進展していくことに若干引いてしまった。急速にすすむデジタル社会だからこそ、人間と人間の結びつきであるその部分は丁寧に描いて欲しかった。朔也と秋子の親子の結びつきについては丁寧な描かれ方をしていただけに、よりそう思えてしまったのだ。ストーリーを知っているひとからすればすんなり分かることも、なにも知らないひとには詰め込まれすぎると付いていけなくなってしまうことがある。あえての行間とはまったく異なる箇条書きのような印象を受けてしまったことが非常に残念だった。「映画だから仕方ない」といえばそれまでではあるが、どうもうまくまとめすぎた感が否めなかったというのが正直なところだ。
作品情報
映画『本心』
公開日:2024年11月8日(金)
監督・脚本:石井裕也
出演:池松壮亮、三吉彩花、水上恒司、仲野太賀、田中泯、綾野剛、妻夫木聡、田中裕子、
原作:平野啓一郎「本心」(文春文庫 / コルク)
音楽:Inyoung Park 河野丈洋
©2024 映画『本心』製作委員会