FILM REVIEW

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』THE FRENCH DISPATCH OF THE LIBERTY, KANSAS EVENING SUN(2021)-Wesley Anderson

『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』

 昨年末からバタバタとした日々が続き、なかなか映画館へ足を運べずにいた。ようやく少し落ち着いてきたところで、数年前から噂を聞いていたWesley Andersonの(ウェス・アンダーソン)の新作を鑑賞してきた。約1ヶ月ぶりの映画館、ウェスの世界に迷い込み、美の極みLéa Seydoux(レア・セドゥ)、Timothée Chalamet(ティモシー・シャラメ)をうっとり眺め、渋すぎるBenicio del Toro(ベニチオ・デル・トロ)、Bill Murray(ビル・マーレイ)にはっとさせられ、そしてTilda Swinton(ティルダ・スウィントン)の安定さに何度も頷いた。誰もがウェスの創り上げた世界観の中で、いきいきと輝きを放っていた。

 『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014)『犬ヶ島』(2018)のウェス・アンダーソン監督の長編10作目にあたる『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』。キャストにはウェス・アンダーソン作常連組であるビル・マーレイやOwen Wilson(オーウェン・ウィルソン)、ティルダ・スウィントン、Adrien Brody(エイドリアン・ブロディ)などに、ウェス組初参加のベニチオ・デル・トロやティモシー・シャラメといった超豪華俳優陣が集結。原案・製作指揮は『ダージリン急行』(2007)から度々ウェス監督とタッグを組んでいるRoman Coppola(ロマン・コッポラ)が、撮影は『グランド・ブダペスト・ホテル』でアカデミー賞撮影賞にノミネートされたRobert D. Yeoman(ロバート・D・イェーマン)が務めた。また、アカデミー賞衣装デザイン賞で4度の受賞を果たしているMilena Canonero(ミレーナ・カノネロ)が衣装を手がけた。

あらすじ

 アメリカ中西部新聞社の支社が発行する架空の雑誌「フレンチ・ディスパッチ」。その編集部はフランスの架空の街アンニュイ=シュール=ブラゼにあった。国政問題、政治、アート、ファッション、グルメなどさまざまなジャンルの記事を扱い、それぞれ凄腕の記者を抱えていた。読者は世界50か国で50万人にものぼる人気の雑誌だ。しかしある日、創刊者で編集長であるアーサー・ハウイッツァー・Jr.が急死する……。

作品評論

 映画『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』は4つ(1つのイントロダクションと3つのストーリー)のオムニバス作品になっている。そのうち最初の1つは、雑誌「フレンチ・ディスパッチ」の編集部がある架空の街、アンニュイ=シュール=ブラゼの紹介。そして1つ目の物語「確固たる(コンクリートの)名作」、2つ目の物語「宣言書の改訂」、3つ目の物語「警察署長の食事室」と続く。

 まずこの作品は、ウェス・アンダーソン監督作の中でも特に情報量が多い。可能であれば2度の鑑賞がおすすめ。1度目はとにかくウェスワールドを肌で感じたい。字幕やストーリーの深層部に集中せず、作品そのものを大きく捉え、ただ感覚的に楽しむのが正解だろう。自分の感性を信じて作品を身体に取り込もう。じっくり物語を考えながら鑑賞するのはそのあとでいい。もちろん作り手は細部に渡り意思を込めて製作しているが、たった1度のジェットコースターのようなあっという間の時間の中で汲み取ることは難しい。だから1度目の鑑賞で「?」と思ったことは、早々に無視をする。ただこの作品のページをめくり進めることを止めないことがもっとも重要だ。

 イントロダクションであるアンニュイ=シュール=ブラゼの紹介を担当したのは、ルブサン・サゼラック。「ニューヨーカー」の伝説的記者であるジョゼフ・ミッチェル、ウェスの愛読書「The Other Paris」の著者リュック・サンテなどがモデルになっている。ベレー帽をかぶり自転車で街を颯爽と走り抜ける姿はニューヨークのストリートファッションフォトグラファー、ビル・カニンガムからインスピレーションを受けている。この姿にいくつかのフランス映画を重ねて合わせる。それは単純な“フランス”ではなく、ウェス・アンダーソンが憧れ、恋をした“フランス”なのだと気付く。画面が途中で分割され、現在と過去が映し出される。時代の変化と共に見た目には違いが生じながら、どちらも同じ空気を持ち合わせている。それがこの街、アンニュイ=シュール=ブラゼなのだ。また昼間と夜とで、街はその表情を一変させる。この光と影が伝えたかったことはもはや言うまでもない。

 そして本題の3つのストーリーへ。第一章「確固たる(コンクリートの)名作」では囚人である画家と看守、美術商、そしてこの記事を執筆する美術評論家が登場する。美術評論家J・K・L・ベレンセン。パリに拠点をおくアートジャーナル「L’Oeil」を設立しつロザモンド・ベルニエからインスピレーションを得ている。わたしはこのストーリーが最もお気に入り。美しく、そしておしゃれな構図がとられたモノクロームの映像と、セルフ静止画を横に流して撮影するという大胆かつユニークな手法。完全と不完全が交差する絶妙なコントラストが素晴らしかった。レア・セドゥ演じる美しく強かなな看守、その看守に純粋な愛を抱く画家の囚人。そしてその画家が生み出した“新しい”絵、つまり現代アートの価値を吊り上げる美術商。それを所有したがる富豪たち。アートの価値はこうして決まっていくのだと揶揄するかのように描かれる。ウェス自身、作家性の高い映画監督として知られ、フリマアプリなどでも彼の作品のグッズは高額で取引きされている。それは熱狂的なファンによる評価であると同時に、ファンの所有欲が数値化されたもの。決して悪いことではないものの、物語でいうお金など必要のない作家にとっては、その評価も数値化も価値を持たないのだ。彼が欲しかったのは、愛する看守との時間なのだから。アートの価値とは果して正当なものであるのだろうか?素晴らしいアートというものは、貧しい人々には一生手にすることのできないものであるのだろうか?

 第二章「宣言書の改訂」、ここではパリ五月革命について描かれている。実際に『ニューヨーカー』で五月革命について執筆していたカナダ人作家であるメイヴィス・ギャラントからインスピレーションを受けたルシンダ・クレメンツをフランシス・マクドーマンドが演じている。この人物像が実に魅力的であった。強く凛とし、何かに揺らぐことも、恐れることもない。若者をさりげなく導き、見守る。どんな時も冷静できちんとしていて、まるで隙なんてものはないようだ。しかしその瞳の奥に感じるあたたかい人間らしさ。鑑賞を重ねるごとに、彼女のそういった面を感じるようになった。そして彼女が取材する学生運動から感じられる、消化しきれないほどの若者のエネルギーと、若者らしい未熟さや飽きっぽさ。これは時代や場所が変化しても変わることのないものだ。激しく燃え上がる恋もしかり。男、女、若者、大人。くっついたり離れたり、交わったり反発したり。特にこのエピソードはリズミカルなテンポが心地良かった。

 そして第三章「警察署長の食事室」。ここはとにかくその手法に驚かされた。なんと途中からアニメーションがぶっ込まれているのだから、もうさすがとしか言いようがない。シェフへの取材の物語のはずが、いつの間にか思いもよらない方向へと進むストーリーに、あれよあれよと引き込まれる。このおしゃれにエッジを効かせた構成は、まさにエンターテイメント。ウェスというアーティストならではの作品だと関心するばかりだ。そこに添えられた、警察署長のお抱えシェフ、ネスカフィエの毒の味のくだり。ここが本当にとても素敵だった。

 この作品を鑑賞していると、雑誌のページをめくるような心地になると言われていたが、それはまさにその通り。そこに記された活字から、記者やライターが伝えたいことを読みとる。この作品では活字の代わりに映像とセリフでそれをわたしたちに伝えている。その雑誌が好きで手にとった人の中には、流し読みするものもいれば、興味のあるページだけ読むものもいる。また、じっくりとすみずみまで深く考え読み進めるものもいる。同様にこの作品は、ウェス好きであれば、どのように読んでも満足できる映画に仕上げられていると言えるのではないだろうか。ウェスの今ある全てが詰まっているのだから。ニューヨーカーという雑誌、そしてゴダールやトリュフォーといったヌーヴェルヴァーグへのリスペクトや憧れに似たフランスへのウェスの溢れんばかりの愛。それらを感じる高密度な“映画作品”なのだ。

 ちなみにこの記事を書いている今、正確には本作の鑑賞から22日が過ぎている。そして今日という日の4日前、ロシア軍がウクライナへ軍事侵攻し戦争がはじまった。そんな今、映画『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』という作品について考えてみると、今まで気づくことのなかった声が聞こえてくる。人間という生き物のさまざまな側面が見え、恐ろしさを感じるとともに希望を抱く。欲望とは?不安とは?使命とは?主義主張とは?争いとは?幸せとは?……だから人間とは?

 「戦争なんてクソだ」「戦争反対」、そう言うことくらいしかできない自分の無力さに絶望している。それでもわたしはこう願い続ける、「どうか戦争をやめて下さい」。

作品情報

©2021 20th Century Studios. All rights reserved.

映画『フレンチ・ディスパッチ ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サン別冊』

原題:THE FRENCH DISPATCH OF THE LIBERTY, KANSAS EVENING SUN

監督・脚本:ウェス・アンダーソン

出演:ベニチオ・デル・トロ、エイドリアン・ブロディ、ティルダ・スウィントン、レア・セドゥほか

配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン

公式サイト:https://searchlightpictures.jp/

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